2017年1月30日月曜日

宮本顕治氏の暴力革命論より思う。

宮本顕治「そこで、ロシア革命のばあいを歴史的に類推して、日本革命の『平和的発展の可能性』を提起することは、根本的な誤りとなる。したがって、議会を通じての政権獲得の理論も、同じ誤りであることは論をまたない。」

(「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」、前衛49号、1950年5月より抜粋。日本共産党50年問題資料集1所収)。


宮本顕治氏のこの論文は、野坂参三氏の「平和革命」理論、「愛される共産党」路線への徹底批判です。

宮本氏はコミンフォルムという世界中の共産党の上部組織から出された野坂批判に真っ先に迎合し、暴力革命論を提起しました。

勿論、暴力革命論それ自体は、「32年テーゼ」に銘記されていたレーニンの命題「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」から必然的に導かれるものですから、宮本氏の専売特許ではありません。

市川正一氏は公判の最終陳述で武装闘争を呼びかけました。これは、「日本共産党闘争小史」(昭和29年大月書店刊行、p182)に明記されています。

市川正一氏によれば、労働者と農民は帝国主義戦争の悲惨さから逃れるためには、日本共産党の指導のもとに大衆的な武装蜂起をもって公然と資本家・地主の国家権力と武装闘争を行い、労働者・農民の日本ソヴェト権力を樹立せねばなりません。

宮本顕治氏は、同郷の先輩である市川正一氏を尊敬していました。暴力革命、武装闘争唯一論は当時の共産党員としては正論そのものです。

吉良よし子議員は宮本顕治氏の論文「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」を読んでいないのか


吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、宮本顕治氏の上記論文と宮本氏の暴力革命論を御存知ないのでしょうか。

吉良よし子議員、池内さおり議員は市川正一氏による武装闘争・労働者と農民の日本ソヴェト権力樹立論を御存知ないのでしょうか。

「日本共産党50年問題資料集」「日本共産党闘争小史」くらいは読んで頂きたいものです。

「50年問題」とは、日本共産党中央が分裂した時期に生じた諸問題の総称です。

「51年綱領」という文書が徳田球一氏らを中心とする側の主導で採択されました。

いろいろな経緯がありますが、結局当時の共産党員のほとんどがこの綱領を認めました。共産党・労働者党情報局、ソ連と中国には逆らえなかったのです。

宮本顕治氏は上記論文で、次のようにソ連を礼賛しています。

「同志スターリンによって指導され、マルクス・レーニン・スターリン主義で完全に武装されているソ同盟共産党が、共産党情報局の加盟者であることを、銘記しておく必要がある」

これを読むと在日本朝鮮人総連合会の皆さんによる金日成、金正日礼賛を思い起こすのは私だけでしょうか。

宮本百合子も熱烈なソ連信者でした。宮本百合子の「歌声よおこれ」とは、スターリンとソ連賛歌です。

宮本百合子のソ連礼賛文も、読書好きで早大文学部出身の吉良よし子議員は御存知ないのでしょうか。

聴濤弘氏(日本共産党の元参議院議員)なら、宮本夫妻のソ連礼賛をよく御存知のはずです。

「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」(51年綱領より)は野坂参三批判


「51年綱領」は、終わりの方で「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである。」と明記しています。

これは「平和革命」と「愛される共産党」路線を提唱していた野坂参三氏の路線と大きく異なっています。

宮本顕治氏は51年綱領作成に直接参加していませんが、宮本氏の上記論文の主張と「51年綱領」の重要な命題は同じです。

宮本顕治氏は暴力革命論の先駆的存在として、「51年綱領」に理論的に貢献したのです。

現在の日本共産党員、吉良よし子議員や池内さおり議員は暴力革命や武装闘争など夢にも考えていないでしょう。

吉良よし子議員は「平和革命」、議会を通じての政権獲得を真剣に考えているのでしょうが、それを早くから主張したのは野坂参三氏です。

ソ連の諜報機関の指導を受けていたはずの野坂参三氏がなぜそんな「理論」を提起できたのか少し不思議です。

野坂参三氏は、天皇に対しても国民の尊敬感を考慮した政策を提起していました。これをずっと後に宮本顕治氏に批判され、野坂氏は自己批判をしました。

自衛のための軍事力の必要性を国会で主張したのも野坂参三氏です。

今日の日本共産党の路線の先駆者は、野坂参三氏です。

宮本顕治氏は、「51年綱領」が完全に正しいと認めた


宮本顕治氏は、「50年問題」を終結させる契機となった昭和30年7月28日の第六回全国協議会の立役者の一人でした。

第六回全国協議会決定の冒頭は次です。

「新しい綱領が採用されてからのちに起こったいろいろのできごと、党の経験は、綱領にしめされているすべての規定が、完全に正しいことを実際に証明している。」

そもそも、宮本顕治氏が「暴力革命」論者であり、「武装闘争唯一論」を野坂参三氏を暗に批判する論文で提起したのですから、「51年綱領」を完全に正しいと認めるのは当然です。

徳田球一氏により排除された宮本顕治氏は実際に武装闘争を断行したわけではありません。

武装闘争を実行したのは、今は80代後半以上になっている下部党員です。65年くらい前のことですから。

徳田球一氏、野坂参三氏は宮本顕治氏の「暴力革命」論の理論的正しさを認めた


今日の日本共産党の党史解釈では、「50年問題」当時の武装闘争は分裂した一方の側が勝手にやったことで、日本共産党の正規の方針ではない、ということになっています。

これは御都合主義的解釈でしかない。当時の日本共産党最高幹部は、革命とは暴力革命しかなく、武装闘争によってこそ社会主義日本を築けるという点では完全に一致していたのです。

徳田球一氏、野坂参三氏は、暴力革命、武装闘争唯一論を先駆的に主張した宮本顕治氏の「理論」の正しさを認めて、51年綱領を受け入れたのです。

派閥の枠を越えて、最高幹部らが正しいと主張し、普及した「理論」「方針」「政策」が実は日本共産党の正規の方針ではなかったというのなら、下部党員は何を信じたら良いのでしょうか。

徳田球一氏らを信じて、非合法手段で北京に渡り、中国共産党から暴力革命論、「鉄砲から政権が生まれる」理論を学んだ下部党員は少なくありません。

時効になっているでしょうが、出国手続きをせずに外国に行くのは1950年代でも不法行為です。武装闘争、暴力革命の為には不法行為の断行など当然という発想です。

「北京機関」の史実を工藤晃氏、立木洋は吉良よし子議員、池内さおり議員に語るべきだ


北京で当時の党員は中国共産党から、武装闘争のノウハウを一生懸命学びました。学ぶ場所を「招待所」と云います。旧ソ連の時代にはホテルをそういう語で呼びました。

北朝鮮工作員がテロの為の「理論」や「方針」を学ぶ場所も「招待所」と呼びます。同時期に朝鮮労働党も中国共産党からいろいろ学んだのでしょう。

工藤晃氏、立木洋氏に「北京機関」について御存知のことを語っていただきたいものですね。.

私見では、当時の日本共産党員と同様のことを、在日本朝鮮人総連合会関係者により構成されている朝鮮労働党の在日本非公然組織が行っています。

朝鮮労働党の在日本非公然組織の構成者、工作員の皆さんは、平壌の招待所で金日成、金正日の「南朝鮮革命理論」や、戦闘訓練、日本人や韓国人に成りすます方法などを学んでいます。

暴力団関係者と連携して、覚せい剤を売る「外貨稼ぎ」を行う工作員もいます。朝鮮学校関係者がその類の仕事をやる場合もあります。

朝鮮学校関係者は、金日成民族の一員ですから。

拉致された韓国人が、工作員に韓国人化教育を行っているようです。拉致された日本人は、北朝鮮生まれの工作員に日本人化教育を行います。

吉良よし子議員、池内さおり議員は「北京機関」について一切御存知ないかもしれません。

工藤晃氏、立木洋氏らから日本共産党の歴史の一コマとしてそれを学んだらいかがでしょうか。一昔前の革命家の現実を、今の若い共産党員は知らないで良いのでしょうか。

「50年問題」の頃の若い日本共産党員は、「鉄砲から政権が生まれる」と本気で信じ、中国共産党の「理論」、すなわち毛沢東思想を熱心に学びました。

今日の在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、金日成、金正日の文献を熱心に学び、全社会の金日成・金正日主義化のために日夜奮闘しています。

革命運動とは、共産党の最高指導者を信奉し礼賛する妄動なのです。



2017年1月29日日曜日

仏映画「彼女の名はサビーヌ」(原題Elle s'appelle Sabine)を観ました。

仏女優Sandrine Bonnaireが監督として、自閉症(autism)の妹を少女期から撮ったドキュメント。


正直に言って、重苦しい映画でした。

少女期のSabineと現在のSabineの容貌、表情がかなり違うのです。かなり悪化してしまったとしか思えない。

「悪化」とは、病について使われる言葉ですが自閉症は生来の障害ですから、そのような語が適切かどうか、私にはわかりません。

少女期のSabineは少し変わった女の子というくらいでした。家族とNew Yorkに行ったときの生き生きとした表情が心に残ります。

30代後半で今は施設にいるSabineは、うつろな目で何度も姉に「明日また来てくれるの」と問いかけ、時に粗暴な態度さえとります。

運動不足のためなのか、Sabineはかなり太っています。この施設に入所している方は太り気味の方が多いようです。薬の影響もあるのかもしれません。

親兄弟と社会はどう対処すべきなのか


施設には、30歳くらいの男性も入所しています。この男性は癲癇も患っています。

自閉症の方は癲癇を患うことが多いらしい。

男性のお母さんが、間違ってこの男性のための薬を飲んでしまったとき、長時間眠ってしまったそうです。お母さんは息子の病の重さに改めて気づいたと語っていました。

お母さんは息子にすまないという気持ちでいっぱいだそうです。

親や周囲の対応で自閉症や癲癇の症状を緩和できる場合もあるのでしょうが、難しい場合もあるのでしょう。

脳の異常に起因しているのですから。すまない、ごめんなさいという問題ではなさそうです。

こうした施設に入所すると、かなりの費用がかかるのではないでしょうか。通常、親は子どもより早く亡くなります。その後、残された子供はどうなるのでしょうか。

映画の最後の方で、Sabineが、以前New Yorkに行った時の映像を見て泣き出すシーンがあります。Sabineは何を思い出していたのでしょうか。

自閉症の症状は千差万別である旨、映画にも出てきます。何とかならないのかと思わずにいられません。

2017年1月27日金曜日

日本共産党国際問題重要論文集22、中国天安門事件から湾岸戦争まで(日本共産党中央委員会出版局1991年刊行)より思う

宮本顕治「この中国問題では、一部で非常にうがった正しくない見解があります。それは中国の、問題は、たしかに大きな衝撃をあたえましたが、しかし、いまは中国が直接日本の運動に干渉していない、直接干渉がないところで、日本共産党がそんなに反論するのはどうかというものです。


しかし、これは非常に誤っています。というのは、一つは、人権問題は国際問題だということです。世界人権宣言もあるし、国際人権規約もあります。」(同書p65より。)


本ブログは何度も、日本共産党が中国共産党との「覇権主義との生死をかけた戦い」に敗北した旨指摘してきました。

その根拠の一つは、今日の日本共産党が中国共産党による過酷な人権抑圧の存在を指摘できなくなっているということでした。

この点では、一昔前、天安門事件の頃の日本共産党と今の日本共産党は大きく異なっているのです。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんは、天安門事件の頃の日本共産党の文献を読む機会がないかもしれません。少し説明しておきます。

上記のように、宮本顕治氏、不破哲三氏ら当時の日本共産党最高幹部は中国共産党による人権抑圧を徹底批判していました。

今日の不破哲三氏や志位和夫氏は、中国に思想・信条の自由、言論の自由がないこと、チベットやウイグル、モンゴル人ら少数民族に対する過酷な抑圧について完全に沈黙しています。

中国共産党を批判する弁護士や市民運動家が、国家安全省により突然逮捕、拘束される例はいくらでもあります。相当な拷問がなされている可能性が高い。

今の中国共産党が直接日本の運動に干渉していないから、志位和夫氏は中国の人権問題について沈黙するのか


今の中国共産党が直接日本の運動に干渉していないからそれでよい、大事なのは「野党外交」だ、そのためには中国と良好な関係を維持することが大事だという判断なのでしょう。

これを、宮本顕治氏は厳しく批判したのです。

この程度のことは、1989年6月の天安門事件の頃、駅前で「天安門での蛮行を糾弾する。鄧小平思想は科学的社会主義と無縁だ」という経験のある中高年党員なら常識です。

志位和夫氏はもちろん、小池晃議員も百も承知のはずです。

宮本顕治氏の「科学的社会主義」から見れば、今日の不破哲三氏や志位和夫氏は中国覇権主義に屈服し、敗北した政治家です。

「科学的社会主義」とは、「長いものに巻かれろ」というご都合主義の「理論」「思想」だとすれば、不破哲三氏、志位和夫氏の卑屈な態度も「理解」できます。

中国の要人の前で「科学的社会主義の理論的探究」とやらについて講演できると、気分が良いのでしょうか。政治家冥利につきるのかもしれません。

中国人民解放軍により「赤旗」記者が射殺されてしまった


「赤旗」記者が中国軍によるベトナム侵攻を取材中に中国人民軍により射殺されていることの重みを何度でも強調したい。中国はこれに一切謝罪などしていません。

中国共産党との関係正常化に際し、日本共産党は中国側に「赤旗」記者射殺の謝罪と補償など一切要求していません。

「赤旗」記者の生命と人権は、日本共産党員にとって限りなく軽いと言われても仕方ないでしょう。

吉良よし子議員、池内さおり議員は「赤旗」記者射殺事件も御存知ないのでしょうか。

宮本顕治氏は鄧小平路線は科学的社会主義と無縁と断言した


「日本共産党国際問題重要論文集」や、「科学的社会主義-共産主義に全く縁のない鄧小平軍事支配体制」(日本共産党中央委員会出版局)も日本共産党の国会議員が読んでいないのなら、国民や「赤旗」読者を愚弄することになりませんか。

「鄧小平理論」とやらに中国共産党は依拠している旨、日本共産党との会談で何度も胡錦涛らが表明しています(不破哲三「日本共産党と中国共産党との新しい関係」p103)。

その鄧小平理論、路線を、宮本顕治氏は「原理的に科学的社会主義と縁がない」と断言したのです(「日本共産党国際問題重要論文集22、p70)。

この程度のことは、私に指摘されずとも不破哲三氏、志位和夫氏あるいは聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)は百も承知です。

国際政治学者の畑田重夫氏も良く御存知のはずです。長年「赤旗」や「前衛」を一生懸命読んでいいらっしゃるのでしょうから。

殺人を正当化する鄧小平理論を今日の不破哲三氏や志位和夫氏は一切批判できなくなりました。

吉良よし子議員、池内さおり議員には日本共産党の基本的な文献をしっかり読んで頂きたいものです。




2017年1月24日火曜日

金賛汀「将軍様の錬金術 朝銀破綻と総連ダークマネー」(新潮新書2009年)より思う。

「私が在住する横浜市でも似たような『事件』があった。北朝鮮で逮捕された人は帰国同胞でなく、短期の祖国訪問団で北朝鮮を訪れた商工人である。


帰還者の生活をつぶさに見て、やりきれなかったのであろう。酒を飲んだ勢いで、同行の人たちに北朝鮮を批判する話をした。


それが『案内員』の聞くところとなり、彼は『国家反逆罪』で逮捕され、留置場に送り込まれた。


彼の兄は神奈川県でも有数の総連系商工人で、何軒ものパチンコ屋や、不動産屋を経営していた。

弟の逮捕監禁を知らされた兄は北朝鮮に渡り、何度か北朝鮮当局に釈放嘆願書を出したが、なかなか聞き入れられず、やがて総連中央の紹介で党幹部と面談し、

億単位の金を「献金」することで弟は釈放されたが、弟は日本に還ることは許可されず、北朝鮮に止め置かれ、肉親とは切り裂かれた状態のままである。」(同書p103より抜粋)

この本の著者金賛汀氏は、奥付によれば昭和12年京都生まれで朝鮮大学校の卒業生です。60年代末には総連系雑誌社の編集記者として働いていたそうです(同書p5)。

この本には、在日本朝鮮人総連合会内部で長年活動してきた著者だからこそ得られた貴重な情報がたくさん出ています。

その一つが、上記の北朝鮮を訪問した神奈川県の朝鮮商工人逮捕・抑留事件です。

北朝鮮の体制批判は「民族反逆罪」-留置場から出すためには億単位の献金が必要


この商工人は北朝鮮の体制を批判したのでしょうから、「民族反逆罪」という重罪を犯していることになります。

「留置場」ということですから、政治犯収容所まで連行されてはいなかったのでしょう。お兄さんが朝鮮労働党に億単位の献金をしたことで、何とか留置場から出られたそうです。

この類の話を、私は別の在日朝鮮人から伺ったことがあります。察するに、朝鮮労働党側は訪朝した朝鮮商工人の言動を報告するよう、「案内員」に命じていたのではないでしょうか。

「民族反逆罪」などにしてしまえば、相当額の金が得られることを予想していてもおかしくない。国家安全保衛部なら、それくらいのことをしてもおかしくない。

北朝鮮社会では、金があれば何でもできるといっても過言ではない。日本の親族からの仕送りを得られない元在日朝鮮人はどん底の生活をするか、自分で商売をして外貨を得るしかない。

朝鮮労働党幹部が実行する「外貨稼ぎ」の一つが、在日朝鮮人への脅迫なのです。特に、裕福な朝鮮商工人が狙われやすい。

朝鮮労働党、国家安全保衛部は朝鮮商工人を狙う


この本には、北朝鮮でビール工場を建設したが、朝鮮労働党にその工場を乗っ取られてしまった商工人の話も出てきます(同書p110-112)。数十億円程度の工場だったそうです(p112)。

この商工人は御堂筋に高級ホテルを開業したそうです。用地買収や経営運営資金として700億円もの融資を金融機関から受けました。

融資した金融機関の一つが、足利銀行でした(同書p112)。

私はこの商工人はもしやあの方では?と思えてならないのです。大阪の高級ホテルの経営者で、足利銀行から巨額の資金を借りていた商工人はそう多くない。

この商工人は、「護憲」で有名だった政治家(故人)とも人脈があったと伺っています。

この商工人も、ある元在日朝鮮人(帰国者)が何らかの「罪」を着せられそうになったとき、いろいろ尽力したそうです。

それやこれやで、結局その商工人は財産を失ったと私はある在日朝鮮人から伺いました。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんの中には、この類の話が実に多いのです。

左翼政治家・運動家は朝鮮労働党による在日朝鮮人脅迫の歴史を直視すべきだ


「ヘイトスピーチ反対」などと叫ぶ左翼政治家や運動家は、朝鮮商工人や北朝鮮に帰国した親族を持つ在日朝鮮人が国家安全保衛部(今は保衛省)に脅迫されてきた歴史を知らないのでしょうか。

うすうす知っていても、「運動の邪魔になる」といった判断から北朝鮮による蛮行の歴史を見て見ぬふりをしている左翼政治家、運動家があまりにも多い。

何のための「運動」なのでしょうね。そういう左翼政治家や運動家は、在日韓国・朝鮮人を利用しているだけではないでしょうか。

何でもいいから、日本国家と日本人を貶めることができればそれでよい、という「運動」など妄動、策動の類でしかありません。







2017年1月9日月曜日

国際政治学者畑田重夫氏は今でも在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業再開を要求しているのか―畑田重夫・川越敬三「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社刊行)より思う

「『日本海を平和の海に』『帰国船を日朝間の平和の懸け橋に』といったスローガンではじまった帰国事業は、日朝友好運動史上の画期的なできごとでした。

これは六十万在日朝鮮人をその祖国の周囲にいっそうかたく結集したばかりでなく、日本人一般の朝鮮観、朝鮮人観を大きくかえ、日朝友好の空気を全国にみなぎらせました。


内外の反動勢力はこれを恐れてその後何回も帰国事業の破壊をこころみましたが、その都度、日朝両国人民の連帯の力でこれをはねかえしてきました。

これによって帰国事業は1967年末までの八年間つねに順調にすすめられ、合計八万八千人が無事祖国へ帰って新しい生活に入りました」(同書p191より抜粋)


畑田重夫氏と川越敬三氏の著作「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社刊行)は、当時の日本の左翼人士が北朝鮮、そして韓国をどのように把握していたかをよく物語る本です。

この本の帰国事業をめぐる記述をもう少し紹介しておきましょう(同書p191より)。

畑田・川越両氏によれば、帰国事業は重大な危機にさらされています。佐藤内閣と自民党が「日韓条約」発効以後、帰国事業を打ち切る策動をあらためて開始したからです。

佐藤内閣と自民党は、帰国協定の延長を一方的に拒否し、1967年8月の日朝赤十字のモスクワ会談と同年11月から6月の日朝赤十字のモスクワ会談と同年11月から翌68年1月へかけてのコロンボでの日朝赤十字会談をいずれも決裂させてしまったそうです。

畑田・川越両氏によれば、在日朝鮮人の帰国希望者は、日本の関係機関への登録をおえた人びとだけでもなお一万七千人以上残っています。

帰国事業の破壊に反対し、その円滑な継続を保障させる運動はひきつづき日朝友好運動の重要な課題の一つとなっていると、両氏は力説しています(同書p191)。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は畑田重夫氏の著作「朝鮮問題と日本」を御存知なのか


この本が公刊されてから50年近い歳月が流れました。

畑田重夫氏は新聞の切り抜きを、生きた現代史の資料であると述べています(「働くものの学習法」昭和45年東邦出版社刊行、p161)。

北朝鮮は日本人や韓国人の拉致、日本漁船銃撃と船員殺害、大韓航空機爆破など数々のテロを長年断行してきました。

北朝鮮は政治犯収容所で、「政治犯」とその家族に過酷な囚人労働を強制していることも、いくつもの全国紙やテレビで何度も報道されています。

新聞の切り抜きを熱心にやっている畑田重夫氏は、これらのニュースに接した際、「日本海を平和の海に」などという奇怪な宣伝文句で北朝鮮に帰国した人々はその後どうなったのか、一切思考しなかったのでしょうか。

畑田重夫氏は今でも、もっと多くの在日朝鮮人が北朝鮮に帰国するべく尽力することが、日朝友好運動の重要な課題の一つと主張しているのでしょうか。

そんな主張は、「ヘイトスピーチ」そのものとみなされても仕方がない。

在日朝鮮人が北朝鮮に帰国すると、何がどうなって日本海が平和の海になるのでしょうか。帰国船で在日朝鮮人が運ぶ財貨を、北朝鮮の核軍拡に利用できるからでしょうか。

在日朝鮮人を「南朝鮮革命」のための工作員にするために、帰国船を利用できるからでしょうか。

北朝鮮への帰国船は、現代の「奴隷運搬船」だったとしか私には思えないのです。テロ国家北朝鮮の策動に協力した「民主運動」とは、いったい何だったのでしょうか。

国際政治学者畑田重夫氏はその後、日米安保反対運動や東京都知事選への出馬などで活躍しました。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党国会議員の方は、畑田重夫氏とどこかで面識があるはずです。

日本共産党が主導した「平和運動」「民主運動」の真実を、新日本出版社刊行物を読んで考えるべきだ


畑田重夫氏の言論活動の軌跡は、日本共産党が主導してきた「平和運動」「民主運動」の歴史の一ページでもあります。

早大文学部卒業の吉良よし子議員は読書好きだそうです。

吉良議員は畑田重夫氏の「朝鮮問題と日本」や、川越敬三氏の「社会主義朝鮮」(新日本出版社昭和45年刊行)を御存知なのでしょうか。

諸先輩の言論活動の軌跡を、諸先輩の著作を通して学ぶという謙虚さを、若い共産党員に持っていただきたいものです。

一昔前の日本共産党の「赤旗」や「前衛」掲載論考や新日本出版社の出版物を一切読んでおらず読む気もない方々が日本共産党の国会議員をやっているのなら、国民を愚弄しているようなものです。








2017年1月8日日曜日

小島晴則「写真で綴る北朝鮮帰国事業の記録 帰国者九万三千余名 最後の別れ」(高木書房刊行)より思う

「前略 其の後新潟では皆さん何のお変りもなく御元気でお過ごしの事と思います。当方は小生の病が一進一退で、朝鮮では職場を六ヵ月以上病欠すると自動的に社会保障になり(職場はやめなければならぬ)一月日本金で約二千二百五十円を支給されてくらすようになります。


そういう訳であわれにも小生完全な廃人となりました。いかに健康の為とはいえ真に口惜しい毎日です。

あわれなのは小生よりも愚妻と子供で愚妻は三人の年子を連れて職場にこの十月から出る事になりました。...

先日来御手紙した如く毛布(千二、三百円の物)百枚位かサッカリン二百Kg位を何とかして貰えませんか。...

妻や子はボロを着てもまづい物を食べても国の為革命の為と労働者階級の為にと思って頑張って来たのですが、

梨花という二番目の子はクル病で病的骨折で片輪になってしまうし小生も健康を害し妻も関節を病むしで今や曹浩平一家は満身創痍の形で出るのは苦笑とため息だけです。

勿論人生は長いのだし一時の病気の為に革命の理想を忘れるような小生ではないつもりですが何とか現在の急場をしのげれば先に書いた様に父上母上の御情にすがるしか無い訳です。

どうか御無理でしょうが本帰国事業の終る十一月迄に何とか小生の勝手をお聞き届け下さって御援助下さるようお願い致します。」

(北朝鮮のハムフン市に帰国した元在日朝鮮人チョ浩平さんからお父さんのチョ和平さんへの手紙より抜粋。一家は昭和37年2月14日に北朝鮮に帰国。同書p315掲載)

北朝鮮への帰国事業と運動が盛んに行われていた頃から新潟で現場を綿密に記録してきた小島晴則氏によるこの本は、日本の社会運動史を考える上でも貴重な文献です。

北朝鮮に帰国したチョ浩平さんは当初、両親に帰国を勧めていたが...


昭和42年9月27日付けのこの手紙を最後に、チョ浩平さんからの連絡は無くなってしまいました。

昭和34年より行われた北朝鮮への帰国事業により、九万三千余名(日本国籍保持者がそのうち約六千名)が北朝鮮に帰国しました。

チョ浩平さんは東北大学で生理学を専攻していたのですが、朝鮮総連関係者から「平壌に行けばモスクワの大学に行ける」と言われ、日本人妻小池秀子さんを伴って帰国しました。

帰国後はなぜかハムフン医大に配置され、モスクワには行けませんでした。

帰国当初、チョ浩平さんは次のように日本の家族に「祖国はすばらしい」という手紙を書いていました。

「現在の仕事は講座長の助手をやっています。毎日、研究のためにあちこち出歩きますが、なかなか大変。...

こちらは良くなる一方だし、種々な不良品もありますが、そんなことは社会保障、医療制度、就業の自由で充分償われているし、物価は非常に安定していますから生活に不安はありません。...

日本で下らぬ商売をするのが良いか、帰って来防ある生活をした方がよいか、植民地人的な根性を捨てて早く帰って下さい。

宣伝だ、などと思ってはなりません。金など一銭も持ってこなくてよいです。...」

(「新潟帰国協力会ニュウス、昭和38年9月15日より。同書p551掲載)

チョ浩平さんと妻小池秀子さんはなぜか別に暮らすようになった―一家5人全員が射殺?


ところがチョ浩平さんはその後、生活の苦しさを訴えるようになりました。

昭和42年9月27日の前記の手紙を最後に、チョ浩平さんからの消息は無くなります。

この本のp657に掲載されている毎日新聞記事(平成15年2月8日夕刊)によれば、小池秀子さんが昭和48年7月に実家に「子供たち3人と4人暮らしになって6年になります、という手紙が届きました。

4人ですから、夫の浩平さんとは別に暮らしていることになります。この手紙を最後に、小池秀子さんからの消息も途絶えてしまいました。

状況を知ったアムネスティ・インターナショナルが北朝鮮側に照会しました。

浩平さんは1967年にスパイ容疑で懲役20年の判決を受けた後、74年10月に脱獄し、ボートを奪って逃走を試みる途中で、一家5人全員が射殺されたと北朝鮮側はアムネスティに報告してきたそうです。

病弱だったチョ浩平さんが、妻子を連れていったいどうやってボートを奪うというのでしょうか。北朝鮮当局の「回答」には何の信ぴょう性もありません。

1960年代後半、北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人の相当数が消息不明になった


北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人のうち、どういう訳か1960年代後半に消息不明になってしまった方は少なくありません。チョ浩平さん、小池秀子さん一家はその一例にすぎません。

この本には、卒業した新潟中央高校に梅の花を植えて帰国していった金和美さんの話も出ています(朝日新聞新潟版昭和36年4月13日記事。同書p325)。

会津出身の金和美さんは、新潟市の親類の料理店で働きながら新潟中央高校の定時制に通っていました。卒業後和美さんはもっと勉強したい、と単身で帰国しました。

昭和35年3月の事です(同書p622)。金和美さんと交流のあった小島晴則さんらは、金和美さんがきっと幸せになると確信していたでしょう。

ところが金和美さんは、昭和40年に訪朝した新潟市議会議員によれば、すっかりやつれていたそうです。

金和美さんは「偉大なる金日成首領さまの懐に抱かれて幸せです。」というだけでした。

そのずっと後に北朝鮮を訪問した在日朝鮮人の話によれば、金和美さんは帰国当初は平壌の医科専門学校に入れたのですがやがて退学させられ、中国国境近くの新義州に移されました。

新義州で金和美さんに会った在日朝鮮人によれば、彼女は見るに忍びないほどやつれて、何かに怯えていました。うつろな目で会話がほとんどできませんでした。

この方によれば、金和美さんらの一日の食事は油を搾りとったトウモロコシの粕に雑穀を混ぜたのが一日二百グラムだそうです(同書p623)。

これでは、金和美さんは生きのびていけないだろうとこの方は小島晴則さんに語りました。

金和美さんと会った在日朝鮮人は、新潟県の在日本朝鮮人総連合会副委員長を務め、北朝鮮に多額の献金をした方です。

その方の次女が昭和47年に朝鮮大学校の学生二百名部隊に指名されて帰国したそうです(同書p626)。在日朝鮮人の世界では、「熱誠者」の御一家といわれるような方々です。

この方の訪朝体験談に、嘘偽りがあるとは到底考えられない。

在日本朝鮮人総連合会関係者は、消息不明になった元在日朝鮮人を「山へ行った」という隠語で表現します。

人里離れた山間へき地に、理由不明である日突然一家もろとも連行されてしまうという意味です。

在日本朝鮮人総連合会は憎悪心を発散するために反日宣伝をする


「山へ行った」については、在日本朝鮮人総連合会の運動に長年従事している方ならよく御存知のはずですが、在日本朝鮮人総連合会の公刊物には一切言及されていません。

在日本朝鮮人総連合会の活動に熱心に従事した数々の先輩方が、北朝鮮に帰国後徹底的に抑圧されている史実を、後輩の在日本朝鮮人総連合会は何としても隠蔽せねばならないということなのでしょう。

「金日成民族」の一員として、「全社会の金日成・金正日主義化」、すなわち大韓民国滅亡のために日夜尽力されている方々ですから。

「偉大なる首領」「民族の太陽」「偉大なる領導者」のもとで、人民は皆幸せに暮らしていると「金日成民族」は全力で宣伝せねばならないのです。

首領様に対する絶対性、無条件性に欠ける人間は民族反逆者ということになっています。

こう考えると、在日本朝鮮人総連合会の皆さんの言動を「理解」できますが、皆さんの内心については想像するしかありません。表と裏の顔、心を持つ方々なのだと解釈するしかない。

不気味なことこのうえない。

「全ての社会問題は日本による朝鮮半島植民地支配のせいである」-左翼の共通点―


在日本朝鮮人総連合会の皆さんは日本人に対する激しい憎悪心を抱いています。

在日本朝鮮人総連合会は日本人拉致をデマだと長年喧伝してきましたが、この件についても一切謝罪していません。憎しみの対象である日本人に謝罪などありえないということです。

日本と朝鮮半島の全ての社会問題は、日本による朝鮮半島に対する植民地支配を原因としていると無理やり思い込み、それを声高に宣伝すれば日本と韓国の左翼から拍手喝采されます。

在日本朝鮮人総連合会はこの類の宣伝を最重視していると考えられます。

殆どの在日韓国・朝鮮人は、日本の左翼と似た感性を持っていますからこの類の宣伝に同調しやすい。

在日韓国人の多くは、自分が大韓民国の国民であるという認識を持っていません。

殆どの在日韓国人は大韓民国が北朝鮮の武装工作員による生物・化学兵器攻撃や核攻撃の危機に直面していようと自分たちとは何の関係もないと考えています。

そんなことより、全ての社会問題は日本の植民地支配のせいだという愚論が今後、左翼化した在日韓国・朝鮮人により普及されていく可能性があります。

左翼は時代の雰囲気に便乗して共産主義国宣伝をする


左翼は時代の雰囲気を巧みに利用します。

北朝鮮への帰国事業が行われていた頃、時代の雰囲気に便乗してテロ国家北朝鮮を礼賛したのは宮本顕治氏ら日本共産党員と在日本朝鮮人総連合会でした。

在日韓国・朝鮮人に対して「朝鮮へ帰れ!」などと怒鳴るのは不適切です。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんが北朝鮮に帰国しないのは、帰国すれば朝鮮労働党により徹底的に抑圧されることを熟知しているからです。

罵詈雑言を流布すると、在日本朝鮮人総連合会や左翼の狡猾さを日本人が見抜けなくなってしまいます。

奇妙ですが、「朝鮮人は朝鮮へ帰れ!」と怒鳴る人々と、在日本朝鮮人総連合会の皆さんには、大韓民国は滅亡してしかるべきであるという共通点があります。

ヘイトスピーチ反対とやらの運動に参加している在日韓国人はこれに気づいていないようですが。知っていても、あえて目を背けている知識人は少なくない。

共産主義運動に参加してきた左翼政治家なら、これを十分承知しているはずです。日本共産党と朝鮮労働党の共同声明を読めばすぐにわかることですから。

ヘイトスピーチ反対で在日本朝鮮人総連合会関係者と連帯・共闘すると自分を「良心的政治家」と宣伝できるから、南朝鮮革命すなわち大韓民国滅亡策動から目をそらしているのです。

北朝鮮への帰国事業、帰国運動の史実から学ぶべきことの一つは、テロ国家北朝鮮を礼賛してきた人々の狡猾な生き方です。

韓国左翼も、テロ国家北朝鮮による人権抑圧から目を背けています。

これが韓国社会でもっと明らかになれば、北朝鮮への備えとして米韓軍事同盟の強化が必要だという話になってしまうからです。これは韓国左翼の長年の主張と逆行します。

それより、日本が植民地支配に無反省なのが最大の問題だという愚論を普及すれば、韓国社会では拍手喝采されます。

これに正面から反対する人は韓国では稀有です。

太宰治が厳しく批判した人々の内心


いつの時代でも、その時代の雰囲気に便乗し、自らを素晴らしい人物であるかのように脚色して世の中を渡り歩く人々はいます。左翼だけではありません。

私見では、太宰治はそんな生き方をする文学者を毛嫌いし、その人たちの内心を暴きました。この件については別の機会にふれます。