2018年2月10日土曜日

河邑重光「反共市民主義批判」(新日本出版社昭和60年刊行)と「市民と野党の共闘」論より思う―反党分子は市民か―

日本共産党にとって、反党分子とは、みずから綱領、規約を認めて党員となりながら、個人的な主張や利害にしがみついて党に反対し、規約をふみにじって党に対する破壊活動をおこなうに至ったものである」(同書p25-26より抜粋)。


少し前に、沖縄県名護市の市長選挙がありました。普天間基地の辺野古への移転に強く反対した現職市長が、自民党、公明党が支援した対立候補に敗北しました。

日本共産党と左翼の皆さんはこの選挙にかなり力を入れていたようです。選挙後のtwitterでは、日本共産党は辺野古への移転は民意ではないと主張しています。

米軍基地のない沖縄をつくるため、市民と野党の共闘を一層進めていくそうです。

志位和夫氏ら日本共産党員に問う―市民とは誰か


志位和夫氏ら日本共産党員、左翼の皆さんにお尋ねしたい。市民とはどんな方々なのですか。

察するに、日米軍事同盟強化に反対する方の事を、近年の日本共産党は市民と定義していいます。

それならば、上記の反党分子の皆さんの中には、日米軍事同盟強化に反対する方はいくらでもいることでしょう。

在日本朝鮮人総連合会や、在日の中国共産党員の皆さんも市民です。習近平、金正恩も市民です。

反党分子、反党反革命分子は市民なのか。習近平、金正恩は市民なのか。

この問題を、志位和夫氏ら日本共産党員は真剣に検討すべきではないでしょうか。

小田実氏は反党分子の皆さんを市民とみなした


反党分子の皆さんと友情関係、交流を深めていた小田実氏は河邑重光氏の本では「反共市民主義」「反共分裂主義」と規定されています。

当然ですが、小田実氏は反党分子も市民であると考えていました。

河邑重光氏によれば、小田実氏が参加していた「日本はこれでいいのか市民連合」には、反党分子、反党反革命分子の方々も沢山参加していたそうです。

河邑重光氏ら、30年ほど前の日本共産党員は反党分子、反党反革命分子の方々は日本共産党を批判するから、市民ではありえないと考えていた。

反党分子との共闘を提唱する小田実氏を、河邑氏は徹底批判していたのですが、その後暫くしたら小田実氏を日本共産党は批判しなくなりました。

どういうわけか、路線転換がなされたのです。不破哲三氏がこの路線転換を主導したのでしょうけれど、理由は全くわかりません。

「党に対する破壊活動」とは何か


河邑重光氏によれば「党に対する破壊活動」を反党分子の方々がなさっているそうですが、破壊活動とは一体何でしょうか。

文字通り理解するなら、各地の日本共産党の建物に爆弾を仕掛けるなどして破壊する事でしょうか。

それならテロリストですから、市民との共闘どころか警察に逮捕してもらうべきです。

暴力を社会運動の手段として用いる方とは、一緒に行動したくないですね。

しかし、反党分子の方々が日本共産党を言論活動で批判しているだけなら、それを「党に対する破壊活動」と把握するのは不適切です。

民主主義社会では、政治家や政党がいろいろな方から、批判をされます。批判が不当と考えるなら、反論すればよい。それだけの話です。

自民党を批判する国民を、「反自民分子」と規定して社会運動から隔離しようと自民党が策したら、異様です。

「反党分子」「宗派分子」と富農、人民の敵


日本共産党や在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、反党分子あるいは宗派分子という人間把握を長年してきました。

この人間把握は、旧ソ連での「富農」「人民の敵」以来、共産主義運動の伝統ともいえます。

私は宗教にあまり詳しくないのですが、マニ教に善悪二元論のような考え方があるようです。ロシア正教にもその影響があったのでしょうか。

レーニンの「富農は吸血鬼だ」論がボリシェヴィキに普及していった背景に、ロシア正教の教えが何か関連していたのではないでしょうか。

日本社会では、善悪二元論は普及しにくい。

小田実氏流の、反党分子も市民論を志位和夫氏が採用したら、日本共産党は見直されるかもしれません。

志位和夫氏にそれだけの路線転換を行う度胸はなさそうですが。







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